シリーズ 知り合いのセクマイにインタビュー:第二回 Rさん
「シリーズ 知り合いのセクマイにインタビュー」は、身近なセクシャルマイノリティ(略:セクマイ)の方にお話を伺う企画です。
SDGsの目標5にはジェンダー平等が掲げられています。
記事を通じて、セクマイやSDGsについて考えていければと思います。
第二回はRさんにお話を伺いました。
Rさんは高校2年生で、身体的性は女性です。
目次:
1. ジェンダー、セクシャリティについて
――あなたのジェンダーについて、無理のない範囲でいいので聞かせてください。
Rさん:私は女の子が好きですが、性自認はクエスチョニング*1だと思ってるのでレズビアン*2とは言えないのかなと(すごく難しくて自分でも分からない)。
――すごく難しいというのはどの辺に難しさを感じていますか。自分の気持ちが分からないのか、向き合うこと自体が難しいのか。あるいはセクマイにはさまざまな用語とその定義が提案されていますが、それが難しいのか、など。
Rさん:なんだろう、自分の気持ちも、ジェンダー用語も難しいですけど、そもそもジェンダーを意識する必要ってあるのかなと思ったりするので、ジェンダー問題そのものが自分にとって難しいのかも。
――どのジェンダーだからどう、というわけではなくて、フラットに、単なる人間同士として関わりあうくらいの意識でいいのではないか、という感じでしょうか。
Rさん:でも好きになるのは女の子なのでそうキッパリ言ってしまうと矛盾というか……自分自身に関してでいうと人間として見てほしいんですよね。
2. 自分の性に関して良かったこと・悪かったこと
――自分のセクシャリティについて、今までで良かったと思ったことと、悪かったと思ったことをそれぞれ教えてください。
Rさん:よかったことは、当たり前と言ったら当たり前なんですが、セクシャルマイノリティの人への偏見が無いことです(逆にこの当たり前しか、良かったことがないんですよね…)。
悪かったことというよりか、気分を害したことは、周囲の人間の差別的な発言です。
その発言に傷つくと同時に、自分が隠し事をしているような気持ちになってしまって自己嫌悪を感じることがあります。
――周囲の人間の差別的な発言について、差し支えなければ、可能な範囲で、具体的にどのような発言があったのか教えてください。
Rさん:うーん、それは……。
――OK、パスということで。
隠し事をしているような感覚や、それによる自己嫌悪は、いまも続いていますか。
Rさん:隠し事をしているような感覚はセクシャルマイノリティ話題が出たときに感じます。
自分の場合、後ろめたさを感じるよりも傷付くことの方が多いです。
――ということは、例えばこういう取材でも傷ついてしまいますよね……申し訳ないです。
取材を受けてくれたのはどうしてですか。
Rさん:「貴方って〇〇そうだよね」と間違った決め台詞を投げかけられた時、普段自分が覆い隠して持ち歩いている、忌むべき自分自身の性質を曝け出して全力で否定してやりたくなります。
でもその勇気がなくって苦笑いばかりの日常で、今回の取材のように予め設定された場でしか曝け出せないのです。
話して楽になりたいような感じかもしれない。
でもやっぱり言わなければ良かったとか後悔するときもある、そういう感情から取材を受けました。
3. SDGsとセクマイについて
――2030年までの達成を目指す国際目標としてSDGsというものがありますが、その目標5にジェンダー平等が定められています。しかし、宗教上の理由などから、セクシャルマイノリティについては直接的な記載が盛り込まれませんでした。
一方、SDGsの「誰ひとり取り残さない」という理念から、間接的には盛り込まれているという見方もあります。
このようなセクマイをめぐる現状について、Rさんの考えを教えてください。
Rさん:なかなかセクマイをめぐる現状についての考えだことがないので、難しいな。
――Rさんはキリスト教系の高校に通っていたと思うんですけど、その辺に関してどうでしょう。
Rさん:キリスト教で同性愛が禁じられているとかは聞いたことがないです。
宗教って「してはいけない」を強調されがちですが、実際は「しなさい」の方が多いように感じます(日本だから宗教の拘束力が弱いのかもしれませんが)。
同性愛を禁じられていたとしてもそこに重きを置く必要がないのかなと。
同性愛者の牧師さんもいますし。
宗教は本来心の救いを与えてくれる筈なのに、何故苦しめることをするんだろうかと謎です。
SDGsがセクマイを盛り込めなかったのも、宗教に対する非近代的な(?)姿勢も原因なのかと…
――なるほど。宗教は心の救いのためであって拘束するものではないというのは納得感があります。
質問は以上です。ありがとうございました。