SDGsみらいネットワークのビジョンと課題
目次:
1. はじめに
- この備忘録の目的は、みらいSネットのビジョン・理想を整理したうえで、課題・現状の分析を行い、解決策を考えることである。
- この備忘録がみらいSネットの改善を考える一助になればうれしい。
2. ビジョン
2.1. プロジェクトのアイデアを生み出す
- みらいSネットのきまり*1上、参加者なら誰でも自由にプロジェクトを立ち上げることができる。
- プロジェクトのアイデアは、みらいSネットに参加している多種多様な人々からの刺激によって生まれる。
- もしくは、みらいSネットにある多種多様なプロジェクトをヒントにアイデアが生まれる。
2.2. プロジェクトを立ち上げる
- 参加者の人脈によって、プロジェクトメンバー、必要な資材、資金、情報などを得ることが容易になる。
- 多様なバックグラウンドの参加者から、さまざまな観点の助言を受けられる。
2.3. プロジェクトを発展させる
- みらいSネットにはさまざまなプロジェクトがあるが、それらとのシナジーによってプロジェクトを発展させることができる。
- 多種多様なバックグラウンドを持つ参加者のアイデアの投げ込みによって、予測不能なオリジナリティのあるプロジェクト展開ができる。
3. 課題
3.1. プロジェクトのアイデアを生み出す
- そもそも参加者同士の交流が難しい。
- 作業通話・雑談用のZoom*2を24時間開放したり、絵しりとりチャンネルなどの工夫をしているが、それらを使用しているのは1日あたり1~5人程度であり、固定化したメンバーである。
- 絵文字等のやり取り、気になった人へのDMを推奨している。
それらによって新しいつながりが生まれた事例もあるが、基本的には参加者の意志の強さに依存している。
- Slackに見ず知らずの人が約50人もいるため、心理的安全性が低く、自分のアイデアを言い出しづらい。
実質的にみらいS研・みらいSネットの代表になっている奥村が、参加者との会話の中で参加者のやりたいことを見出し、プロジェクト化をサポートする、という流れが常態化している。
3.2. プロジェクトを立ち上げる
- 参加者同士の交流が少ないため、相談がしづらい。
- 立ち上げ時には少数のメンバーで、同質性のある観点でもって、一点集中突破でプロジェクトを突き進めていくのが効率がいい。
そのようなフェーズにあるプロジェクトにおいて、さまざまな意見が入るのは「ありがた迷惑」になる可能性をはらんでいる。 - みらいSネットのきまり上、チャンネルを立ち上げた際に全員を招待する必要がある。
良くも悪くも衆人環視の状態でプロジェクトを進めることになるため、プレッシャーが強い。 - 上のような状況では、そもそもみらいSネットでプロジェクトをやるメリットが感じられない。
プロジェクトメンバーが集まってしまえば、あるいはアイデアさえ生まれてしまえば、あとは各自で独自にプロジェクトを進めたほうがいい、という発想になる。
3.3. プロジェクトを発展させる
- 参加者どうしの交流が少ないので、そもそも各プロジェクトがなにをやっているのかが分かりづらい。
Slackの文章だけでは内容を把握するのは難しい。 - 全体を把握しているのがほぼ奥村しかいないため、奥村の裁量によってでしかシナジーが生まれない。
4. 解決策
4.1. しくみで解決する
- 多様な刺激が必要になる状態を「発散」、情報を制限して同質性を高め、効率的に動く必要がある状態を「収束」とすると、
アイデアを生み出す→プロジェクトを立ち上げる→発展させる
というフェーズを考えたとき、
発散→収束→発散
となる状態を整えるのが望ましい。 - その他、3.で挙げた課題を解決するしくみを整えたい。
4.2. 運用で解決する
- 現状しくみで解決できない以上、それぞれの意識的な行動で乗り越える必要がある。
4.2.1. プロジェクトのアイデアを生み出す
- 積極的に作業通話・雑談用Zoomに入り、交流する。
- 気になった人がいたら積極的にメンションやDM等でアプローチする。
また、それを受け入れる雰囲気を作る。 - なにかやりたいことがあった場合、それをどうやったら実現できるだろう、とみんなで考えてみる。
たとえば、
①学生は、一見突拍子もないような、実現可能性のなさそうな、でもやってみたらおもしろそうだ、ということを思い切って社会人にぶつけてみる
②社会人は、学生がなにに「わくわくする」のかを引き出す雰囲気を作る。アイデアが出てきたら、自分の持つリソースを駆使しながら、それを実現するために道筋を示す。
という流れができると理想的である。
4.2.2. プロジェクトを立ち上げる
- プロジェクトの立ち上げフェーズでは、プロジェクトメンバーを固定化し、ほかの意見に惑わされないようにする。
- 世の中にはさまざまな価値尺度が存在し、それぞれに正しさが存在する。
ただ立ち上げフェーズにおいては、ある観点からは正しいことであっても、プロジェクトの成長を阻害するような意見がある。
プロジェクトを進めていくにあたって、そのような意見の正しさは認めつつも、「今はそれを採用すべきではない」と意識的に判断していくのがいい。
そのような判断の積み重ねは、自らのプロジェクトで達成したいことをブラッシュアップすることにもつながる。
- 世の中にはさまざまな価値尺度が存在し、それぞれに正しさが存在する。
- 一見、立場を変えると、立ち上げフェーズのプロジェクトに対して助言をするのは自粛したほうがいいように思える。
しかし助言はむしろ行ったほうがいい。- 必要なのは、プロジェクトを阻害しないための気遣いである。
Slackはテキストベースのつながりであるため、ニュアンスが欠けやすい。
それを意識して、たとえばZoom等で相談に乗りながら助言をしていくのが望ましい。
- 必要なのは、プロジェクトを阻害しないための気遣いである。
- 立ち上げメンバーも、参加者も、お互いが神経を使わなければならない。
面倒なことに思えるが、このようにしてメンバーが成長したり、プロジェクトが生まれたりすることには、長い目で見ると大きな意義がある。- プロジェクトを中心となって駆動するのは、基本的に時間の融通が利く学生になると思われる。
さまざまな人のアドバイスを得ながらプロジェクトを進める経験は、学生にとって大きな財産になる。
そのような学生を生み出していくことは、みらいSネット参加者や、ひいては社会にとって大きな利益になる。
- プロジェクトを中心となって駆動するのは、基本的に時間の融通が利く学生になると思われる。
4.2.3. プロジェクトを発展させる
- プロジェクトが安定・停滞してきたタイミングで、プロジェクトメンバーは、意識的に外部の意見を取り入れたり、ほかのプロジェクトとのコラボレーションを考えることが望ましい。
- プロジェクト間のシナジーにこそみらいSネットの魅力がある。
一見関係のないようなことを繋いでいくことによって、オリジナリティのあるプロジェクトが可能になる。
- プロジェクト間のシナジーにこそみらいSネットの魅力がある。
5. おわりに
- みらいSネットが直面している課題は、マルチステークホルダー協働の課題そのものとも言える。
- みらいSネットのような思想を持ったコミュニティは全国にあり、コロナ禍によって増えている。
ただうまくいっているところは少ない。
(成功しているところは、なにか共通の狭い話題があったり、参加者が特定の層に限定されていたりすることが多い。
話題や参加者の多様性の度合いが強いほど、コミュニティの活性化が難しくなる。) - そのようななかで、約50人のコミュニティであるみらいSネットでは、アクティブユーザーが半数程度あり、投稿する人も約20人程度いる*3。
これは「よくやっているほう」だと思う。 - せっかくなら、みらいSネットの改善の道を模索してみてもいいかもしれない。
もしかするとその先に、多様なステークホルダーが協働する未来や、そのような方法論の確立が待っているかもしれない。
シリーズ 知り合いのセクマイにインタビュー:第二回 Rさん
「シリーズ 知り合いのセクマイにインタビュー」は、身近なセクシャルマイノリティ(略:セクマイ)の方にお話を伺う企画です。
SDGsの目標5にはジェンダー平等が掲げられています。
記事を通じて、セクマイやSDGsについて考えていければと思います。
第二回はRさんにお話を伺いました。
Rさんは高校2年生で、身体的性は女性です。
目次:
1. ジェンダー、セクシャリティについて
――あなたのジェンダーについて、無理のない範囲でいいので聞かせてください。
Rさん:私は女の子が好きですが、性自認はクエスチョニング*1だと思ってるのでレズビアン*2とは言えないのかなと(すごく難しくて自分でも分からない)。
――すごく難しいというのはどの辺に難しさを感じていますか。自分の気持ちが分からないのか、向き合うこと自体が難しいのか。あるいはセクマイにはさまざまな用語とその定義が提案されていますが、それが難しいのか、など。
Rさん:なんだろう、自分の気持ちも、ジェンダー用語も難しいですけど、そもそもジェンダーを意識する必要ってあるのかなと思ったりするので、ジェンダー問題そのものが自分にとって難しいのかも。
――どのジェンダーだからどう、というわけではなくて、フラットに、単なる人間同士として関わりあうくらいの意識でいいのではないか、という感じでしょうか。
Rさん:でも好きになるのは女の子なのでそうキッパリ言ってしまうと矛盾というか……自分自身に関してでいうと人間として見てほしいんですよね。
2. 自分の性に関して良かったこと・悪かったこと
――自分のセクシャリティについて、今までで良かったと思ったことと、悪かったと思ったことをそれぞれ教えてください。
Rさん:よかったことは、当たり前と言ったら当たり前なんですが、セクシャルマイノリティの人への偏見が無いことです(逆にこの当たり前しか、良かったことがないんですよね…)。
悪かったことというよりか、気分を害したことは、周囲の人間の差別的な発言です。
その発言に傷つくと同時に、自分が隠し事をしているような気持ちになってしまって自己嫌悪を感じることがあります。
――周囲の人間の差別的な発言について、差し支えなければ、可能な範囲で、具体的にどのような発言があったのか教えてください。
Rさん:うーん、それは……。
――OK、パスということで。
隠し事をしているような感覚や、それによる自己嫌悪は、いまも続いていますか。
Rさん:隠し事をしているような感覚はセクシャルマイノリティ話題が出たときに感じます。
自分の場合、後ろめたさを感じるよりも傷付くことの方が多いです。
――ということは、例えばこういう取材でも傷ついてしまいますよね……申し訳ないです。
取材を受けてくれたのはどうしてですか。
Rさん:「貴方って〇〇そうだよね」と間違った決め台詞を投げかけられた時、普段自分が覆い隠して持ち歩いている、忌むべき自分自身の性質を曝け出して全力で否定してやりたくなります。
でもその勇気がなくって苦笑いばかりの日常で、今回の取材のように予め設定された場でしか曝け出せないのです。
話して楽になりたいような感じかもしれない。
でもやっぱり言わなければ良かったとか後悔するときもある、そういう感情から取材を受けました。
3. SDGsとセクマイについて
――2030年までの達成を目指す国際目標としてSDGsというものがありますが、その目標5にジェンダー平等が定められています。しかし、宗教上の理由などから、セクシャルマイノリティについては直接的な記載が盛り込まれませんでした。
一方、SDGsの「誰ひとり取り残さない」という理念から、間接的には盛り込まれているという見方もあります。
このようなセクマイをめぐる現状について、Rさんの考えを教えてください。
Rさん:なかなかセクマイをめぐる現状についての考えだことがないので、難しいな。
――Rさんはキリスト教系の高校に通っていたと思うんですけど、その辺に関してどうでしょう。
Rさん:キリスト教で同性愛が禁じられているとかは聞いたことがないです。
宗教って「してはいけない」を強調されがちですが、実際は「しなさい」の方が多いように感じます(日本だから宗教の拘束力が弱いのかもしれませんが)。
同性愛を禁じられていたとしてもそこに重きを置く必要がないのかなと。
同性愛者の牧師さんもいますし。
宗教は本来心の救いを与えてくれる筈なのに、何故苦しめることをするんだろうかと謎です。
SDGsがセクマイを盛り込めなかったのも、宗教に対する非近代的な(?)姿勢も原因なのかと…
――なるほど。宗教は心の救いのためであって拘束するものではないというのは納得感があります。
質問は以上です。ありがとうございました。
シリーズ 知り合いのセクマイにインタビュー:第三回 Kさん
「シリーズ 知り合いのセクマイにインタビュー」は、身近なセクシャルマイノリティ(略:セクマイ)の方にお話を伺う企画です。
SDGsの目標5にはジェンダー平等が掲げられています。
記事を通じて、セクマイやSDGsについて考えていければと思います。
第三回はKさんにお話を伺いました。
Kさんは大学1年生で、身体的性は男性です。
目次:
1. ジェンダー、セクシャリティについて
――あなたのジェンダーやセクシャリティについて、可能な範囲でいいので教えてください。
Kさん:バイ・セクシャル*1かは分からないものの過去に男性に恋愛感情を持って告白したことがあります。
他の男性にも同様に恋愛感情を持てる保証はないので、バイ・セクシャルだと断定はしません。
――世間一般ではLGBTQ+の人というと、恋愛感情や性自認に関してなにか確たる信念がある、という固定観念があるかと思いますが、意外とそういうわけでもないのでしょうか。
Kさん:多分マジョリティと違うことから性自認などについて自問したり苦悩する経験が多いからでしょうか、多分必然的にそういうことはあると思います。
――Kさん自身も、性自認などについて自問したり苦悶したりと言ったことはあったのでしょうか。
Kさん:今ではそうでもないですが、そういう時期はありました。
――差し支えなければ、悩んだ時のエピソードを聞かせてください。
Kさん:男子校で同級生に好意を持ち始めたあたりは逆にすこし浮ついていて多少悩んではいましたが、逆に少し楽観的でもいました。
黙想会というキリスト教のイベントに参加し、そこで自問自答し、告白したのですが、その後の距離感や今後どう付き合えばいいのか、他人に晒される目線も相まって常に暗鬱な気分でした。
「友達のままでいよう」という返答の曖昧さから距離感の難しさで自分から距離を置くようになり、それでも変わりなく接しようとしてくれる相手の善意が一番辛かったです。
――他人の目に晒されている感覚というのは、具体的に何から来るものだったのでしょうか。
例えば、男子に告白したから、好奇の目で見られているに違いない、という思いがあったのでしょうか。あるいは単純に、告白自体が気恥ずかしかったのでしょうか。
Kさん:というより僕はSNSでカミングアウトをして、それが学校で知れ渡っていたからですかね。
何より「僕はそういうのいいと思うよ」というような一見優しそうで冷たい突き放した態度が多くて悩みました。
――「そういうの」ってなんだよ、みたいな。
Kさん:というよりも、臭いものに蓋をするというか露骨に敬遠されている事ですかね。
自分の大きなアイデンティティなので、逆にイジって貰うと救われたような気がしました。
――なるほど。現状として、どうしてもジェンダー関連の話題はセンシティブというか、それこそ「イジりづらい」イメージがあると思うのですが、それについてどう思いますか。
Kさん:社会的に問題提起されたマイノリティや障害者の話は「受け入れろ」という声が大きすぎて、最終的に異物として触れることすら億劫になることがあると思います。
逆に浸透させることが必要だと思いますね。
個人的にはLGBTを保護する応援するという運動も現時点では逆効果だと思っています。
――一方で、声を上げなければセクマイに関する不平等や不均衡、無理解がある現状が改善しないという意見もあると思います。それについてはどう思いますか。
Kさん:見極めは難しいでしょうが、僕は声をあげて不平等や無理解を問題提起するという段階の次に社会に精神的に浸透させる段階を経て本当の不平等が成立すると思います。
問題提起はそれ自体が問題という異物である前提に成し得るものですから。
現時点でどの段階であるべきか、そこの照査は必要不可欠だと思います。
――なるほど。つまりKさんは、問題提起のフェーズはもう終わって、社会に浸透させるフェーズになっているのではないか、と考えているということですか。
Kさん:そうです。
LGBTではないですが、例えば乙武洋匡さんの最近Youtubeでの活動などは障害者にとっての社会浸透の意味があると僕は思っています。
――乙武さんのYouTubeの内容を寡聞にして知らないのですが、黒酢菌さんが意義深いと感じた点を具体的に教えてください。
Kさん:乙武洋匡さんはどのようにカップ麺を作るのか、スイカ割りに挑戦したりといった動画を投稿しています。
そこではスタッフ(撮影者)の人が、「卵割れるんですか?!」というような純粋な反応をしています。
ここであるのは普通のコミュニケーション、相手を理解しようとする根源的な営みです。
――「相手を理解しようとする根源的な営み」という言葉が興味深いと思いました。「セクマイ」や「障害者」ではなく、一人の相手として見ることが大切だということでしょうか。
Kさん:そうですね、LGBTなども大切なひとつのアイデンティティですがそれだけでは決してないですからね。
2. SDGsとセクマイについて
――2030年までの達成を目指す国際目標としてSDGsというものがありますが、その目標5にジェンダー平等が定められています。しかし、宗教上の理由などから、セクシャルマイノリティについては直接的な記載が盛り込まれませんでした。
一方、SDGsの「誰ひとり取り残さない」という理念から、間接的には盛り込まれているという見方もあります。
このようなセクマイをめぐる現状について、Kさんの考えを教えてください。
Kさん:現状としてセクシャルマイノリティを違法としたり、差別的な構造が残っていることは正直いくぶんか仕方ないとは思っています、国の文化や宗教はそれほど大きな存在だと思います。
すぐ変えろと言って変わるものではないですし。
とはいえ世界の価値観というものは常に更新され続けるし、それに対応する必要性は必ずあると思うので、文化との寄り合わせ、或いは文化の更新はすべきです。
例えばカトリックは教会内での議論はあるものの、ローマ法王はLGBTに歩み寄ってくれています。
しかし、僕が思うに問題は平等にする過程です。
平等に対する考え方は様々あります。
例えばスイスやアメリカでは同性間でのセックスがあった場合一定の期間献血が出来ませんが、それを不平等と思う人もいれば、そこにHIVなどのリスクが発生する「行為」自体から平等とする人もいると思います。
僕はそういった「特性」を平等に見るべきと考えていて、例えば性格の悪い人間が敬遠されることなんかを差別とは思わないのと平等に考えています、でも人によってはそれは平等じゃないと思う。
社会における平等の実現というのはだからこそ、先程と似た話ではありますが、セクシャルマイノリティを異物として扱わないように慎重に行われるべきです。
性転換手術への保険適応とセクシャルマイノリティ専用のトイレを作ることは少しズレていると個人的には感じています。
なので現状として完全に平等が成し得ていないことを非難するよりも、SDGsとして方向性が定められ、そこに寄り添い合って実現する目標があることを嬉しく思いますし、これからが問題だと思っています。
――黒酢菌さんは、性転換手術への保険適応とセクシャルマイノリティ専用のトイレを作ることは少しズレているとお考えのようですが、それはなぜですか。
Kさん:性転換手術、性適合手術は非常に高額です。
ほかの手術は適応されるのにこれには適応されないのか分かりませんし、非常に高額な負担をLGBTにだけおわせるのはそれこそ差別だと思っています。
本来の福祉のあり方としても間違っていると思います。
セクシャルマイノリティ専用のトイレというのは「他人にLGBTとして見られたくない人」にとっては非常に迷惑でしょうし、普通の人からしても不満が募ることもあると思います。
女性専用車両とはまた性質が大きく異なりますから。
とはいえこれは一例です。
現実にはLGBTだけでなく障害者なども含めた多くの方が使えるよう多目的トイレの拡充がされていて、特に問題は感じていないです。
あくまで問題の性質の話です。
――なるほど。
質問は以上です。ありがとうございました。
シリーズ 知り合いのセクマイにインタビュー:第一回 Mさん
「シリーズ 知り合いのセクマイにインタビュー」は、身近なセクシャルマイノリティ(略:セクマイ)の方にお話を伺う企画です。
SDGsの目標5にはジェンダー平等が掲げられています。
記事を通じて、セクマイやSDGsについて考えていければと思います。
第一回はMさんにお話を伺いました。
Mさんはシリーズ最年少の15歳(中学3年生)で、身体的性は女性です。
私の印象を述べると、とても意志が強い一方、繊細な面がある人だと思います。
Mさんの言葉にはいつも考えさせられるものがあるので、今回記事にできることをうれしく思います。
目次:
1. ジェンダー、セクシャリティについて
――ではまず、Mさんのジェンダーについて、無理のない範囲でおしえてください。
Mさん:ジェンダー*1ってセクシャリティ*2と同じでしたっけ…あやふやで申し訳ないです…
――厳密なところは僕の方があやふやだと思うから、Mさんが思ったように答えてくれれば嬉しい。言葉を尽くせば誤解は減るから、少しでも気になったら今みたいに教えて。
Mさん:体の性に対して心の性(性自認*3)と言うことでしたら女性で一致しています。
しかし、私は髪の毛が短く誤解を招いてしまうことも多々ありますね。
「男性になりたい女性」「トランスジェンダー*4の人」=髪を短くする、という訳では無いのに。
自分にこの髪型が1番似合うから、楽だから、という理由で短いだけであって、私の場合決してセクシャリティに依存していません。
そこの所だけは、髪の短い女性全体やLGBTQ+に対する"別物"だという意識が垣間見えたような気がしてしまって不快です。
(かなりこれによって苛立ってきた過去があるので感情的な物も含めてしまっていますが!!😡)
人それぞれ恋愛対象や性的指向*5は違ってくるんだけど、みんなが思っているより違うんですよ。
本当にグラデーションです。
セクシャリティで言えば、私はパンセクシャル*6かレズビアン*7にあたると思います。
セクシャリティは流動的なので日々ちょっとずつ自分の求めているものに近づくし、求めているものすらも変わるしで「今はこれ!」と言っていても直ぐに変わってしまうものなので一言でジャンル分けするのは難しいですが。
私は、レズビアンとかバイセクシャル*8とかパンセクシャルとか用語に振り分けられるのが好きではありません。
そういった振り分けが好きな方もいらっしゃるようですが…。
パンセクシャルは、全性愛者と言われています。
文字通り、同性も異性も中性も、人間全体が恋愛対象という事です(これまた人によって違いますが)。
私は今まで女性の事しか好きになった事がありません。
なのでレズビアンなのでしょう。
しかし、女性だから恋愛対象に入って好きになったという訳ではなく、好きになった人がたまたま女性だったと言うだけなので、今後男性を好きになったり中性の方を好きになったりするかも知れません。
なので、パンセクシャルとも言っておきます。
実際、結婚してから同性も恋愛対象に入ると気付き後悔している方もいらっしゃいますし、流動的なものなのかはたまた気付いていないだけなのか、そういった所は分かりませんが別に分からなくてもいいですよね。
本質的な部分に違いはありません。
――Mさんは用語で振り分けられるのが好きではないということでしたが、今までセクシャリティの多様性について考えたことがない人からしても、用語が多くてとっつきにくいな…と感じる部分があると思います。
Mさんは、どのようにして用語を知っていきましたか。
また、それについて意見や思うことなどがあれば教えてください。
Mさん:自分がどの立場にいるのか、どういう状況なのかを判断するのに用語はとても役にたちます。
しかし、それにすがったり型にはめるのは違うと思います。
先程も言った通りセクシャリティと言うものは流動的で誰一人同じ物が無いため、型に当てはめるのは危険です。
多様性と謳っているのに型に当てはめるの、なんなんだろうと思います。
用語が多くてとっつきにくい、という事に関しては、うーんそうですね…
私は、セクシャリティの多様性について考えようとして用語を覚えたのではなく、自分で自分のセクシャリティを模索しているうちに覚えました。
セクシャリティとはなんなのか、どういった物があるのか、自分にふさわしいもの、又は興味本位で気になるものを…と調べていったら身についていた感じです。
セクシャリティの多様性について考える為に用語は必要ありません。
用語は本質ではないからです。
そして用語は誰でも理解できる簡単な言葉で言い換える事が出来ますし。
確かに用語を知っていた方が素早く情報をキャッチすることが出来ますし話の幅も広がります。
言語のように、LGBT界で普段使われている用語とその説明文ではニュアンスが違ったり、なんてこともありますし…。
用語は、基本気にしなくて良いのです。
調べていって気になったものがあればそれについて掘り進めればいいし、そうしていったら自然に覚えていく物もありますよね。
用語はあくまでも型、振り分けなので、何回も言いますが本質ではありません。
そこでハードルが高く見えとっつきにくさを感じさせてしまっているのがいけませんね…。
ゲイバーとかビアンバーもあるし、テレビに出てる「おかま」と呼ばれている人達だってLGBT関連の場合が多いでしょう。
意見を交流したり、話を聞くことは簡単に出来る。
用語を覚えなければいけない、と言うわけではないと思います。
バー系やテレビなどでしたらLGBTという壁を挟まないでも楽しめると思いますし…。
私がLGBTQ+じゃなかったらこうやって取材を受けることは無かっただろうし…
複雑な気持ち。
――用語は必ずしも本質ではなくて、その気になれば話を聞くことも簡単にできる。確かにその通りだと思います。テレビの例でもあるように、LGBTQ+だからどう、という訳ではなく、その人自身の面白さや、人としての深み自体が本質と言えるかもしれませんね。
そもそもこの取材自体が「LGBTQ+だから」という色眼鏡が入っている、という指摘に対しては、ごもっともです。ただ、まず前段階として、LGBTQ+に対する偏見を取り除いてもらうのが大切だと思って取材させていただきました。
社会的な面でも人々の意識の面でも、同じ人間として平等に扱われるべきだと思います。
Mさん:その通り、セクシャルはその人を形成する重要なアイデンティティになりますが、本質では無いのです。
そこで壁を作られるのは悲しい事…。
(話違うけどLGBTQ+の中に存在する差別もだいぶ見苦しいです。悲しい。)
ただセクシャリティに関しては、カミングアウトしなければ"平等"に扱われるというのがありますよね。
それも厄介なんです。
カミングアウトをすれば自分から離れていってしまう人もいるし、奇怪な目を向けられる可能性も高い。
そんなリスクを背負ってまでカミングアウトする必要性があるのか、とさえ思ってしまいます。
世の中にはアウティング*9というものがあり、それによって亡くなった方もいらっしゃいます。
人々は「差別はいけない」とかいう言葉で思考停止していないで、事の重大さに気付くべきなのではと思います。
同性愛者なんだ、と同性にカミングアウトした場合、「私の事好きにならないでね」と言われたという話をよく耳にします。
そういう所です。
――LGBTQ+の中で差別があるというのは、悪い意味で普通の人間らしさみたいなものを感じますね。話の本筋とはそれてしまいますが、例えばどのような差別があるのでしょう。
アウティングに関しては、一橋大学の事件*10などが記憶に新しいです。自分のアイデンティティを尊重してほしいという思いがある一方で、そのような事件を聞いてしまうとカミングアウトすら尻込みしてしまう面もありそうです。
Mさんは、「人々が『差別はいけない』という言葉で思考停止している」とおっしゃいますが、それは世間一般の人々が事件について「あれは差別主義者が起こしたことであって自分には関係ない」と他人事のようにとらえている、ということでしょうか。
そのあたりのことについて、よろしければもう少し教えてください。
Mさん:(LGBTQ+の中の差別について)ミソジニー*11や男尊女卑などが大きく関わってきている問題だと思います。
実際ゲイ*12とビアン*13は不仲だと言われています。
ゲイの方から「レズ消えろ」と言われたり、暴言を吐かれたりは国内外問わず耳にしたことがあります。
また、レズビアンと言ってしまうと女性のレッテルを貼られてしまうため言いたくない、という人もいます。
女性への偏見とミソジニーは根深いです。
バイ*14と同性愛者が不仲だったり、付き合っている方達でトラブルが起きてしまったりもよく聞きます。
やはり同性だけ好きな人と両性(全性)好きな人とでは価値観の違いやズレがあるため問題もあるのでしょう。
(「『差別はいけない』という言葉で思考停止している」という意味に関して)それもあります。
が、自分の根底に眠っている潜在的な差別(無意識にしてしまっているもの)やステレオタイプなどによる差別も知るべきだと思います。
それだけセンシティブな話題であると意識を持たなければいけませんね…。
「差別はいけない」その事実だけ知っていて思考停止していないで、しっかりと考えなければいけません。
自分がしてしまっている事の重大さに気づかなきゃいけません。
差別がどうして起こってしまうのか、どういうものなのか、…現実的ではありませんが皆がもっと考えなければ。
――なるほど。(LGBTQ+の中の差別について)ふだんセクシャルマジョリティから誤解を受けがちなセクシャルマイノリティであっても、マイノリティ内の別のセクシャリティに対する理解は難しい面があるのですね。
(「『差別はいけない』という言葉で思考停止している」という意味に関して)「差別はいけない」という段階からもう一歩進めて、「自分が差別をしているかもしれない」という問いかけが大切だということでしょうか。
Mさん:そうですね、差別について理解を深め考えなければ。
2. 自分の性に関して良かったこと・悪かったこと
――これまでに、自分のセクシュアリティに関して、良かったと思ったことと、悪かったと思ったことをそれぞれ教えてください。
Mさん:良かった所も悪かった所もありません…。
異性愛者で良かった所悪かった所なんかありますか?
強いて言えば、良かったと思ったことは素敵な女性を好きになれた事と差別問題等について考えるきっかけになった事、そしてそれがこのように他の人の役に立ったり架け橋となれた事(大袈裟)ですかね。
悪かったと思ったことは難しいですし見つかった時点でセクマイや私の負けだと思いますが、これまた強いて言うなら受け入れるのに時間がかかった事でしょうか。
"普通の人"だったら必要のない事に関して考え込み時間を要してしまいました。
あのセクシャリティがいいな〜とか、こうなりたいな〜と言うので私のセクシャリティが確立したのでは無く、もともと存在していた物に気付いたor自然とそうなった為そのセクシャリティに善し悪しはありません。
ほとんどの場合、学生のうちに好きになった同性は異性愛者でしょうから叶う確率はとても低い。
それが残念です。
――「普通の人」だったら必要のないことについて考え込んでしまった、というのは、具体的にはどういうことについて考え込んでしまったのですか。
Mさん:自分のセクシャリティに関してです。
私は受け入れるのに時間がかかりました。
社会がそういった考えを作ってしまっているのだと思いますが、違和感がありましたね。
自分のセクシャルがL*15だということに。
本当に自分のセクシャルがそうなのか、それとも思い込みなのか…。
もともと自分の肉体が嫌いなのですが更に嫌になりました。
男性だったら"普通"の恋愛が出来たのかもしれない、でも性自認は女性だし女性として女性が好き。
意味が分かりません。
ごちゃごちゃでした。
他人の心をズタズタにしておいて平凡に暮らし理想的な恋愛をしているヘテロ*16が羨ましく感じました。
とあるクィア*17の方が「LGBTQ+当事者じゃないのにLGBTQ+を語るな」と言っていました。
誰であろうと語る権利はあるのでこれは間違っているように思いますが、言ってしまう気持ちはすごく分かります。
土足でLGBTコミュニティに入ってきて自らの恋愛観を押し付けてくる人も多々いますし、「LGBT素敵じゃん!」「私はいいと思うよ!」なんて言ってるヘテロも、肯定(受け入れ)してくれているつもりなのかもしれないが、差別視しているのが見え見えで不快です。
私やそのクィアの方は当事者なので、マジョリティの方よりもこの話題に敏感ですのでそのせいですかね。
自分を救えるのは自分だけなのに社会に邪魔されて救いたくない、救えない感じで当時はもどかしかったです。
相当悩みました。
マジョリティだったらそれぞれの恋愛の悩みはあれどセクシャルで迷うことはないですし、マジョリティの悩みなどだいたいはセクマイカップル間の悩みでもありますしね。
ちなみに私は保育園、小学校低学年くらいまでマジョリティだと思っていたので、無意識に男の子を見ていた(恋愛感情を求めていた)と思います。
女の子は男の子と結婚して子供を産んで…とかいう社会が作ったものに当てはめられて生活していたので…
――先ほどの「負け」という表現に関連して、このようなエピソードを聞くと、セクマイであることで不利益をこうむる現状があるならば、それはセクマイの「負け」ではなくて、社会の「負け」ではないかという気がしてきます。
Mさん:そうですね、ゲイの私やセクマイが嫌いだったらそれは社会や嫌いな人の問題で私たちに問題はありません。
3. SDGsとセクマイについて
――2030年までの達成を目指す国際目標としてSDGsというものがありますが、その目標5にジェンダー平等が定められています。しかし、宗教上の理由などから、セクシャルマイノリティについては直接的な記載が盛り込まれませんでした。
一方、SDGsの「誰ひとり取り残さない」という理念から、間接的には盛り込まれているという見方もあります。
このようなセクマイをめぐる現状について、Mさんの考えを教えてください。
Mさん:私は無宗教なので宗教的な重みは分かりませんが、国内外問わず私が見てきたセクマイの宗教信仰者たち(言い方が良くないですが)は宗教の方に悩まれている方がほとんどです。
しかし、それはセクマイを禁ずる宗教に属しているがセクマイだ、という当事者が考えるべき問題なのでは? と思います。
他人事だから放っておく、という訳ではなく、それが彼ら彼女らの最善の方法でしょう。
当事者で無ければ分からない事情の方を優先すべきです。
同性婚について騒がれている日本を見るとその重みが分かりますね。
「気持ち悪い」など自分に被害が及ばないのに否定意見を出し、人の気持ちを考えていない人に決定権を持って欲しくありません。
ジェンダーとセクシャルは定義上異なるため、センシティブな話題に触れることを避けようとセクマイの事は記載しなかったかのようにも取れますね。
設立者じゃないので分かりませんが。
セクマイは世界で差別されているというのが現状です。
例としてフランスを出すとパリ郊外でセクマイだとカミングアウトした方に暴力をする方が大勢いたりもするらしいですし、親にカミングアウトをしたら家を追い出されてしまった、なんて話もよく聞きます。
これが全てを物語っていますね。
子供の時点で男と女が繋がるものだ、男は男らしく女は女らしくあるべきだ、という観念がない時代が来なければ差別は絶対に無くなりません。
後に「ジェンダーが平等な世界」が来たとしても差別は残るでしょうね。
人間なので。
残念です。
性的嗜好や恋愛対象を正されるセラピーも世界に存在するし拷問。
――当事者でなければわからない事情を尊重するということに関しては、他者を尊重するという点で、セクシャルマイノリティとセクシャルマジョリティの間の問題という文脈に限った話ではない、より根源的な問題である気もしてきます。
Mさん:そうですね、人間性の問題です。
――セクマイを受け入れられるような社会になると、より人に優しい、生きやすい社会になるような気がします。
Mさんは、それに向けて一人一人が意識すべきことは何だと考えますか。
Mさん:相手の立場に立って物事を考えることだと思います。
それができている人とできていない人とでは、ジェンダー問題に限らずとてつもない差があると思います。
私は相手の立場に立って考えようということを普段から心がけています。
物事には常に二面性があるため、多方向から、色々な視点から見ています。
だからこそ、否定する人の気持ちやズレも理解でき悲しくなります。
否定している方は、もう少し冷静になり私たちの気持ちや立場も理解した上での結論を出して欲しいです。
皆がそれを意識すれば、より良い社会になるのではないかと思っています。
*1:社会的・文化的な性
*2:人間の性
*3:自分で認識している性。
男性、女性、Xジェンダー、クエスチョニングに分けられる。
Xジェンダー:性自認が男性とも女性とも言えない立場をとる人。
以下のように分類される:
クエスチョニング:性自認・性的指向(どんな性を好きになるか)が定まっていない
*5:性的に惹かれる相手の性別。
以下のようにに分類される:
- ヘテロセクシャル(異性愛者):異性に惹かれる
- バイセクシャル(両性愛者):2つ以上の性別に惹かれる
- ホモセクシャル(同性愛者):同性に惹かれる
- アセクシャル(無性愛者):惹かれる性がない
- パンセクシャル(全性愛者):すべての性別に惹かれる
*10:一橋大学アウティング事件:2015年4月に、一橋大学のロースクール生が「ゲイだ」とバラされ、投身自殺した事件
*11:女性蔑視
ヘテロセクシャル:異性に対して性的な感情を抱くセクシャリティ
シリーズ 知り合いのセクマイにインタビュー
「シリーズ 知り合いのセクマイにインタビュー」は、身近なセクシャルマイノリティ(略:セクマイ)の方にお話を伺う企画です。
なんらかの活動をしている人ではなく、あくまで普通に生活をしている人にインタビューをしました。
ある種のセクマイの統一見解からはそれぞれ少しずつずれているかもしれませんが、そこに、セクマイの中にも(当然ながら)考え方や捉え方の多様性があるのだ、ということを感じ取っていただけたらと思います。
また、私(大学一年生)の知り合いということで、全員年齢が若い(全員21世紀生まれ!)のも特徴です。
Z世代の目にはどのように世界が映るのか、というところもあわせてお楽しみいただければと思います。
実は、SDGsの目標にはセクマイについての直接的な記述がありません。
これは、世界には宗教上の理由から、同性愛などを認めない国があるため、国際目標としてすり合わせができなかったと推測されます。
しかしながら、SDGsの「誰一人取り残さない」という理念から、間接的にはセクマイも包摂されているのではないか、という見方もあります。
いずれにせよ、SDGsがカバーできる範囲のボーダーラインにいるのがセクマイだと言えるかもしれません。
このシリーズを通して、ともすれば「取り残さ」れてしまいがちなセクマイという存在や、SDGsの限界などについて考えていければと思います。
第一回はMさんです。
インタビューを依頼した方の中では最年少(15歳!)です。
しかしながら、とてもしっかりとした考え方を持っていて、私としてはただただ圧倒されるばかりでした。
とてもメッセージ性の強いインタビューとなっているので、その思いをしっかりと受けとめて、ぜひ今後の生活に活かしていただければと思います。
第二回はRさんです。
Rさんは高校二年生です。
宗教の在り方について考えさせられる記事となっています。
第三回はKさんです。
Kさんは大学一年生です。
セクマイの中でも多様な考え方があるのだということを感じていただければと思います。