シリーズ 知り合いのセクマイにインタビュー:第三回 Kさん
「シリーズ 知り合いのセクマイにインタビュー」は、身近なセクシャルマイノリティ(略:セクマイ)の方にお話を伺う企画です。
SDGsの目標5にはジェンダー平等が掲げられています。
記事を通じて、セクマイやSDGsについて考えていければと思います。
第三回はKさんにお話を伺いました。
Kさんは大学1年生で、身体的性は男性です。
目次:
1. ジェンダー、セクシャリティについて
――あなたのジェンダーやセクシャリティについて、可能な範囲でいいので教えてください。
Kさん:バイ・セクシャル*1かは分からないものの過去に男性に恋愛感情を持って告白したことがあります。
他の男性にも同様に恋愛感情を持てる保証はないので、バイ・セクシャルだと断定はしません。
――世間一般ではLGBTQ+の人というと、恋愛感情や性自認に関してなにか確たる信念がある、という固定観念があるかと思いますが、意外とそういうわけでもないのでしょうか。
Kさん:多分マジョリティと違うことから性自認などについて自問したり苦悩する経験が多いからでしょうか、多分必然的にそういうことはあると思います。
――Kさん自身も、性自認などについて自問したり苦悶したりと言ったことはあったのでしょうか。
Kさん:今ではそうでもないですが、そういう時期はありました。
――差し支えなければ、悩んだ時のエピソードを聞かせてください。
Kさん:男子校で同級生に好意を持ち始めたあたりは逆にすこし浮ついていて多少悩んではいましたが、逆に少し楽観的でもいました。
黙想会というキリスト教のイベントに参加し、そこで自問自答し、告白したのですが、その後の距離感や今後どう付き合えばいいのか、他人に晒される目線も相まって常に暗鬱な気分でした。
「友達のままでいよう」という返答の曖昧さから距離感の難しさで自分から距離を置くようになり、それでも変わりなく接しようとしてくれる相手の善意が一番辛かったです。
――他人の目に晒されている感覚というのは、具体的に何から来るものだったのでしょうか。
例えば、男子に告白したから、好奇の目で見られているに違いない、という思いがあったのでしょうか。あるいは単純に、告白自体が気恥ずかしかったのでしょうか。
Kさん:というより僕はSNSでカミングアウトをして、それが学校で知れ渡っていたからですかね。
何より「僕はそういうのいいと思うよ」というような一見優しそうで冷たい突き放した態度が多くて悩みました。
――「そういうの」ってなんだよ、みたいな。
Kさん:というよりも、臭いものに蓋をするというか露骨に敬遠されている事ですかね。
自分の大きなアイデンティティなので、逆にイジって貰うと救われたような気がしました。
――なるほど。現状として、どうしてもジェンダー関連の話題はセンシティブというか、それこそ「イジりづらい」イメージがあると思うのですが、それについてどう思いますか。
Kさん:社会的に問題提起されたマイノリティや障害者の話は「受け入れろ」という声が大きすぎて、最終的に異物として触れることすら億劫になることがあると思います。
逆に浸透させることが必要だと思いますね。
個人的にはLGBTを保護する応援するという運動も現時点では逆効果だと思っています。
――一方で、声を上げなければセクマイに関する不平等や不均衡、無理解がある現状が改善しないという意見もあると思います。それについてはどう思いますか。
Kさん:見極めは難しいでしょうが、僕は声をあげて不平等や無理解を問題提起するという段階の次に社会に精神的に浸透させる段階を経て本当の不平等が成立すると思います。
問題提起はそれ自体が問題という異物である前提に成し得るものですから。
現時点でどの段階であるべきか、そこの照査は必要不可欠だと思います。
――なるほど。つまりKさんは、問題提起のフェーズはもう終わって、社会に浸透させるフェーズになっているのではないか、と考えているということですか。
Kさん:そうです。
LGBTではないですが、例えば乙武洋匡さんの最近Youtubeでの活動などは障害者にとっての社会浸透の意味があると僕は思っています。
――乙武さんのYouTubeの内容を寡聞にして知らないのですが、黒酢菌さんが意義深いと感じた点を具体的に教えてください。
Kさん:乙武洋匡さんはどのようにカップ麺を作るのか、スイカ割りに挑戦したりといった動画を投稿しています。
そこではスタッフ(撮影者)の人が、「卵割れるんですか?!」というような純粋な反応をしています。
ここであるのは普通のコミュニケーション、相手を理解しようとする根源的な営みです。
――「相手を理解しようとする根源的な営み」という言葉が興味深いと思いました。「セクマイ」や「障害者」ではなく、一人の相手として見ることが大切だということでしょうか。
Kさん:そうですね、LGBTなども大切なひとつのアイデンティティですがそれだけでは決してないですからね。
2. SDGsとセクマイについて
――2030年までの達成を目指す国際目標としてSDGsというものがありますが、その目標5にジェンダー平等が定められています。しかし、宗教上の理由などから、セクシャルマイノリティについては直接的な記載が盛り込まれませんでした。
一方、SDGsの「誰ひとり取り残さない」という理念から、間接的には盛り込まれているという見方もあります。
このようなセクマイをめぐる現状について、Kさんの考えを教えてください。
Kさん:現状としてセクシャルマイノリティを違法としたり、差別的な構造が残っていることは正直いくぶんか仕方ないとは思っています、国の文化や宗教はそれほど大きな存在だと思います。
すぐ変えろと言って変わるものではないですし。
とはいえ世界の価値観というものは常に更新され続けるし、それに対応する必要性は必ずあると思うので、文化との寄り合わせ、或いは文化の更新はすべきです。
例えばカトリックは教会内での議論はあるものの、ローマ法王はLGBTに歩み寄ってくれています。
しかし、僕が思うに問題は平等にする過程です。
平等に対する考え方は様々あります。
例えばスイスやアメリカでは同性間でのセックスがあった場合一定の期間献血が出来ませんが、それを不平等と思う人もいれば、そこにHIVなどのリスクが発生する「行為」自体から平等とする人もいると思います。
僕はそういった「特性」を平等に見るべきと考えていて、例えば性格の悪い人間が敬遠されることなんかを差別とは思わないのと平等に考えています、でも人によってはそれは平等じゃないと思う。
社会における平等の実現というのはだからこそ、先程と似た話ではありますが、セクシャルマイノリティを異物として扱わないように慎重に行われるべきです。
性転換手術への保険適応とセクシャルマイノリティ専用のトイレを作ることは少しズレていると個人的には感じています。
なので現状として完全に平等が成し得ていないことを非難するよりも、SDGsとして方向性が定められ、そこに寄り添い合って実現する目標があることを嬉しく思いますし、これからが問題だと思っています。
――黒酢菌さんは、性転換手術への保険適応とセクシャルマイノリティ専用のトイレを作ることは少しズレているとお考えのようですが、それはなぜですか。
Kさん:性転換手術、性適合手術は非常に高額です。
ほかの手術は適応されるのにこれには適応されないのか分かりませんし、非常に高額な負担をLGBTにだけおわせるのはそれこそ差別だと思っています。
本来の福祉のあり方としても間違っていると思います。
セクシャルマイノリティ専用のトイレというのは「他人にLGBTとして見られたくない人」にとっては非常に迷惑でしょうし、普通の人からしても不満が募ることもあると思います。
女性専用車両とはまた性質が大きく異なりますから。
とはいえこれは一例です。
現実にはLGBTだけでなく障害者なども含めた多くの方が使えるよう多目的トイレの拡充がされていて、特に問題は感じていないです。
あくまで問題の性質の話です。
――なるほど。
質問は以上です。ありがとうございました。